江戸情緒のテーマの吟行会』の確認です 

2022年11月23日(勤労感謝の日) 

  1. 集合時間:9:30am (それまでに当日の昼食をコンビニで調達して下さい) 

  1. 集合場所:JR両国駅(西口 国技館側の大きな方の改札口付近) 

     

行程 

  1. タクシーで15分「清澄白河」→霊巌寺(白河藩主の松平定信の墓)→ 

深川江戸資料館(11:00am頃まで見学)→(徒歩5分)清澄庭園(12:30ごろまで散策、園内で各自昼食) 

  1. (徒歩10分)万年橋袂の芭蕉記念館別館1:00pm入館 椅子席です。 

  1. 1:20pm出句 五句 

  1. 4:00ごろ迄の句会 

  1. 句会終了後、大江戸線で両国迄戻り 

都合のつく人は一献&食事 

 

ぼくとう句会 ご案内 2022-10 

 吟行句会

◇2022 十一月二十三日(勤労感謝日)

◇集合場所:JR両国駅西口(大きい改札口)国技館側 9:30am

◇タクシーで清澄庭園へ その後

清澄の町並み散策 句会場

◇昼食は各自用意

 ◇吟行会 会場:深川芭蕉記念館別館 

           椅子席

◇小名木川辺り万年橋たもと 

◇コースは世話役一任:句会は1時PM~

4:00pm

◇都合のつく人は帰り道で軽く一献

 ◇投句の場合は封書かFAXにて

十一月十九日までに到着で。

指導 徳田 千鶴子 先生

世話役 萩庭 一幹

〒130-0013 東京都墨田区亀沢 1-4-14-701 セゾンド・ミキ

       携帯 080-3363-6250

◇投句の場合 

FAX 03-6320-7068 一幹宅

ライン:萩庭一幹 個人宛

メール:haginiwa.ikkan@gmail.com

              haginiwa.ikkan@outlook.com

 倉科 紫光 ℡ 03-3871-0808

林 勝利  ℡ 03-3384-7587

 

 

 

 

◇十二月十五日(第三木曜日)は忘年句会

を予定しています。

 

場所:JR両国駅構内 2F 居酒屋料理店

   「源」5.30pm~8:00

予め投句をしていただき、忘年会と俳句会をかねます。

当日は各自の選句選評発表の場となります

 

......................................................

 

〇何にせむに八十路の発意秋遍路  勝利

 

ご自身のことにしては若干若いので、別の人のことか。これは、相当の覚悟の発意であり、健康で健脚でなければ成し得い。

「何せむに」にさまざまな思いが籠って

いるようにおもう。『何をおもったか」「何と意外なことか」「何となんと」「何せ驚いたことに」などの気持ちがこもっている。

 何度にも分けて歩けば叶う道であり、熟年以後のあこがれでもある。

 

〇供養菊抱き仲見世押されゆく  雅子

 

 供養菊は浅草観音の伝統行事である。

新しい菊を備えて、備えてある菊を代わりに頂いて帰るのである。その事が、絶えず

新鮮な菊が供えられ菊の供養となるのである。なかなか粋な行事だとおもう、

 鷽替え信事なども他の鷽と交換するもので、いろいろな精神が宿り厄を分散祓うと

いうものである。 

馬醉木ぼくとう句会 

2022-9-15 

 ① 

おんぶてふ言葉も死語か赤とんぼ 

螻蛄鳴くや紙漉き唄の里の辺に 

一掴みに引くや土ごと生姜の香 

はるか尾瀬先輩歩荷と渡りゆく 

折り紙の夜長をつなぐ千羽鶴 

 ② 

漣や伊根の舟屋の初紅葉 

月影を零さぬやうに盃を上ぐ 

心にも吹き渡りける風爽か 

人に付き盗人萩の名を拝す 

試歩伸ばす土手にとびとび野萱草 

 ③ 

せせらぎに和して混じらず法師蝉 

ひぐらしや根本中堂鎮もれり 

仰ぎ見るだけの吊り尾根ななかまど 

ゲレンデに敷く万本の千寿菊 

手遊びに折り鶴いくつ夜半の秋 

 ④ 

きょう底に眠る一文蚯蚓鳴く 

雨のバス根は明るしや夜学生 

鳳仙花戻れぬ道はふり向かず 

書き留むる一語夜長の閨明り 

躍るなり衿足少し抜き気味に 

 ⑤ 

独り居が少しぬる目の新走り 

目つむれば見えてくるなり秋の風 

秋風に吹かれて渡る吾妻橋 

秋冷や旅のアルバム色褪せて 

自らにに間の手入るるつくつくし 

 ⑥ 

ひぐらしや胸突坂の往き還り 

角帽の青年久し敬老日 

結の手を畦に待たせて稲を刈る 

鞍馬への走り根の道鵙鳴けり 

ゆきあひの空えお見上ぐる百日紅 

 ⑦ 

重たそう籠にあふるる蝉の声 

加齢ですえ医師のひとこと秋の風 

百万の一つにピント秋桜 

笑うても涙出るなり狐花 

女王逝く七十年の菊日和 

 ⑧ 

二丁櫓の渡し短かし秋の風 

円安の流れいつまで秋の風 

走り根につまづく湖畔秋桜 

爽籟や顔皆清し殉教碑 

月の宴余韻の朝や潮速し 

 ⑨ 

根つからの剽軽者よ秋うらら 

村起し夢を掴まむ稲の花 

出航の銅鑼の音運ぶ秋の風 

花カンナ夢で会ふ人みな若し 

秋風や聖尼花摘む丘に吹く 

 ⑩止 

跪座に繰るロザリオ清か秋風裡 

走り根の太きがつづくつくつくし 

葡萄食む父の介護を終えたるを 

虫の声途絶えぬように雨戸引く 

子らのこゑゆるる雲梯秋ざくら 

 

馬酔木 2022-4 

ぼくとう俳句会 

~四月の作品の中から~ 

◇『仏間まで風の運びし花一片』千鶴子 

仏間は、その家の考え方により、最も中心 

となる風通しのよい客間と同一の部屋であるか、より奥の私的空間の部屋であるかである。 

 作者の家は後者のケースであるらしい。庭の桜の一片が図らずも折からの風に運ばれて奥の仏間に運ばれた。故人への、これ以上にない供養となった 

 ◇『行間を刻かけて読む四月馬鹿』てつを 

 この場合は過去に届いた手紙の便りであろうか。何度読み返しても、その内容は変わるべくもなく、人の情の愚かしさを『四月馬鹿』に言い止めている。 

 但し、この一句は別の季語の斡旋で、がらりと趣が変わるのである。例えば 

『行間を刻かけて読む春しぐれ』だとした 

ら、行間に滲む人の情のニュアンスを何度も汲み取っている様子にもなるのである。 

 ◇『来し方の起点にいつも桜かな』春美 

桜の咲くころは、進学、就職、引っ越など新たな岐路に立つことが多い。それは希望だったり失意だったりもするが、桜は毎年同じに咲き続ける。.たしかに桜は人々のこころを投影して始まる。 

芭蕉の句にも「さまざまなこと思い出す桜かな」がある。 

  2021.7

一句鑑賞

◇老吉良のとはに逃げゆく走馬灯 一暁

 江戸より続く廻り灯籠である。熱せられて回る気流が生じ、絵柄が回り続けるというしくみ。

吉良討ち入りは日本人の共通感性の題目である。走馬灯が回り続けるかぎり吉良は追われなければならない。

ほむらなす夾竹桃や原爆忌    一暁

百日を紅よこさずににさるすべり 千鶴子

去ぬ燕また来年と見送りて    千鶴子

風連れて風鈴売の好々爺     千鶴子

言いかけて一語吞み込む夕薄暑  春美

夕焼けて捨野に遺る開拓碑    圭舟

ちちははに逢へる寺領や夾竹桃 寿江子

 千鶴子 特選

◇星涼し戻れぬ月日もろ肩に 雅子

 

三月の句の中から

『人訪はず人に問はれず花の昼』 

春美 

 コロナ禍の中、めっきりと人との交流が減

った。この一句は、そのことと関わらずに

普遍性のある内容でもある。老境に達すると

互いに人との付き合いが億劫になり掲句の

ようなことゝなる。喪に服している場合も

あるだろうか。物理的な密は避けても、

報連相の疎通は密な方がよい。

  『桜まじ行間ゆらぐ一筆箋』

                邦江

『桜まじ』桜のころの強い南風であり、『花 

嵐』に置き換えてもよい。短い一筆箋の内容

から、その行間、余白にあるものを汲み取って

いるのだが、少々衝撃性のある解釈が出来かねる

ものなのだろう。

桜が揺れ動いている様を心理的な行間に転嫁

した感覚的にして技巧的な一句となった。

~十二月作品の中から~ 

◇混沌の世界にひとつ寒卵    一暁

 この世界は秩序が在ると思えても、予測不能の事が起こる。不確定要素に満ちた世の中である。

まさに現に、コロナ禍を予測し得なかった。

そんな中にあって、確たる存在感を持つものとして寒卵が在る。寒の卵は、昔から滋養のあるものとして珍重、大事にされてきた。

 この句中の『ひとつ』について議論とされたが、『ひとつ』は存在そのものと解釈してよい。


◇江戸前の磯は何処ぞ都鳥   勝利 

 かつて、江戸湾の海に獲れる魚を江戸前と呼んだ。その種類は多く、味のよい魚が豊富に水揚げされた。江戸湾は人口を反映して滋養に富んだ海だったのである。江戸前の寿司が盛んに食され今日に至っている。

豊富な魚を求めて鴎も集まった。

 更なる人口増加によって埋め立てが進み

海は遠くなるばかりである。都鳥の名は京都の賀茂川と東京の隅田川に限って許された名なのである。

~十月作品の中から~

◇縁側の日差しに半跏小鳥来る てつを 

 秋日和の縁側に立膝をつき、くつろいでいる作者、恰も仏の瞑想に近いポーズとなった。その形は安らかで、何物を欲しない至福の平安の時だったかとおもう。

 折りしも小鳥が渡って来て、明るい一句まで得たのである。

◇野の草となりおほせたり泡立草 軽舟 

 背高泡立草は外地から持ち込まれ、あっという間に日本各地に席巻、群生してしまったが、いつの間にか、代を重ねてゆくうちに、すっかり日本の気候、風土に同化してしまい、在来の秋のキリンソウに近い背丈になり、横暴さは影をひそめ、鑑賞にも耐えられ秋の野草花のひとつに座したのである。

 将に、人でいえば市民権を得たかのようである。

 

◇本心は語らず残りの栗を剥く 春美 

 作者は、さり気ない所作のうちに人の心根を投影する描写に定評がある。『ひとは、

表現することによって自己を隠し、隠そうとすることによって自己を顕す』とは

サルトルの言だったか。


◇かなかなの遥かを夢の続きとも 

柴光

ひぐらしの声は、此の世と彼の世の境から聞こえて来るような不思議な感覚がある。

現実の世と幻想の世と置き換えてもよい。

作者は、夢の続きの世界の声と捉えた。時には夢の世界の方がより存在感に満ちていることだってある。

夢が遥かなのではなく蜩の声が遥かなのである。今年は東京では余り蜩は鳴かなかった。

2020.5ぼくとう句会投句作品

 

永峰久比古

老いぬれば草笛すらも鳴らざりき

山影の夕冷え坂を独りゆく

蒸気船戻るこだまや春の暮

芽落葉松奥より暮れて闇となる

芝萌えて眩しき庭となりにけり


夏生一暁

空耳のとほき草笛町の辻

芭蕉庵の胸突坂や風五月

惜命の梅酒しみいる隅田川

短夜の夢に芭蕉と関を超え

銀河系のほとり淋しき朝顔市

 

五島賢文

晩春や再会誓ふツツジ草

庭園で嫁に貰ひし桃味イチゴ

新芽持つ父の形見の月下美人

夏の富士はるかに広がるなだら坂

野原行き何もなけれど吹く草笛


伊藤邦江

野の風や草笛競ふ男の子

一灯に頼る坂道夏の月

夜干梅瞬く星の母はどれ

母逝きてよりの幾年えごの花

風青し経蔵回すマニ車


福田てつを

野遊びや覆る笹舟もあり

片栗の群生の横坂つづく

草笛や佐久の子の音にしくはなし

鶴首の瓶に一輪薔薇の棘

更衣ふ平成のはや沓沓と


岸本 圭舟

草笛や傘寿が終のクラス会

下り坂有れば上りも虹二重

一本の糸に命を継ぐ蚕

二歳児に自我といふもの蘆若葉

妻もまた女なりけり更衣


古澤 春美

夢に合ふ坂に立つ夫青葉木菟

草笛や解らぬ新語ぞくぞくと

春筍を茹でて厨のやはらかに

風薫る心の襞の奥までも

青春の隠し味めくゆすら梅

 

萩庭 一幹

潮照る八十八夜の橋幾重

抜け道は裏鬼門より青嵐

田水張る鴨睦まじく収まりぬ

草笛や昭和に過ぎし少年期

三味の音や欅新樹の神楽坂


橋詰 博文

夕空の坂をのぼりて山法師

子供の日大志を削ぐや引き込もり

土手を刈る草のにほいやペダル踏み

指先の遠き傷あと菖蒲の湯

草笛に拙き吾は手を振りて


大内 善一

真日受けて行きゆく先は山女釣り

首里城の赤屋根夏日照り返す

老鶯や開け放ちたる嵯峨の寺

妻の留守独りの昼や日や冷素麺

よみがえる樹々青青と夕立晴


林 勝利

草笛や自分探しの旅半ば

小諸なる古城懐かし草の笛

海霧はれて坂東太郎の旅終はる

破れ傘名人坂田の銀が泣く

鴫焼や家居のつづく夕厨


安保富美子

ふるさとや草笛上手き兄老いて

六十の坂越え素足にスニーカー

夫は下戸の肴荒しや初鰹

風の色探し新樹の中に在り

雲走る夏霧にわれ消されをり

 

藤井寿江子

草笛は機嫌の証し海へ吹く

螢籠提げ今生の下り坂

母の忌や五指しなやかに黄瓜もむ

先頭を抜かず離れず蟻の列

朝顔や我にもほしき支え棒


山本雅子

穂高嶺へ立てるカンバス小梨咲く

穂高嶺へヨーデル澄めり開山祭

国後島へリラの坂道海の断つ

梅雨の月坂東太郎深閑と

草笛や山河それぞれ広ごりし


倉科紫光

船宿の昼の灯うるむ走り梅雨

尋めあぐむ谷中坂町夏椿

ビル群に沈む町屋や軒菖蒲

草笛や信濃追分風走り

草笛を鳴らし来る子の頬赤し


德田 千鶴子

えご散るや振り返りつつ無縁坂

信玄の駆けし雁坂慈悲心鳥

城跡に草笛吹ける老ひとり

薫風や乙女坂てふ宝塚

青葉風弾痕今も田原坂


2020-4 ぼくとう句会 投句者十四名

一暁 てつを 一幹 春美 賢文 邦江

圭舟 紫光 雅子 寿江子 博文 

勝利 富美子 善一


一暁

つつがなき日々の証の蓬餅

来し方も行く末もいま春の泥

頬刺の空を見てゐる円らな眼


てつを

小上りにとどく瀬音や草の餅

大空に描く薄墨の花万朶

傘を手に桜隠しの磴仰ぐ


一幹 

合流を果たし緩みぬ花筏

空に満つ十分の花の翳りかな

囀りを返してをりぬ籠の鳥


春美

語りかけ遺影に備ふ草の餅

空耳か夫の声聞く花の下

菊根分けしてこころよき疲れかな


賢文

草餅や素焼きの皿に置かれける

満開の花のトンネル歩を惜しみ

青空や新芽の揃ふカナメモチ


邦江

草餅や小言の母に茶を淹れぬ

子の去りて夕空淋し半仙戯

若葉風コーヒーミルの香り立つ


圭舟

残る鴨池の静寂をもて余す

春風や空に鴟尾置く寺の町

カリン咲く人手の庭の片


紫光

草餅や饒舌かはすすべもなく

天空にかけのぼる友桜冷

積ん読の書に触れ亀に鳴かれけり


雅子

閑けさや桜かくしの化粧ふ路地

不揃ひも母の誉れや蓬餅

満目の欅芽吹枝空占むる


寿江子

不揃の草餅母に備へけり

空階にしきつめられし桜しべ

北国の海は平らか花菜風


博文

前かごに草餅二つ帝釈天

大空に小さな手のひらしゃぼん玉

校庭の真ん中泳ぐ鯉のぼり


勝利

店仕舞ひひとつお礼と蕨餅

春暖の北回帰線空仰ぐ

酸葉噛む人恋ふ心見せまじと


富美子

草餅も三つ編み髪も父の手で

春雷のあとの夕空揺れやまず

桜隠しはかなくもありしぶとくも


善一

亡き母を偲び作るや草の餅

ふららこを大きく空に向けてこぐ

花吹雪面影しのぶ里の寺 


~3月の作品の中から~

『春田打終へて農夫は土を嗅ぎ』 勝利

 

農の仕事の良し悪しは土づくりにある。

地味に富んだ土壌は、バクテリアの分解によって生み出される。そのバクテリアはミミズによって、いっそう促進される。ミミズが棲むようになれば土作りは成功。

 そのミミズを求めて土竜が棲み始める。

土竜はトンネルを通じて、地中を耕すこととなる。このような自然のサイクルこそ

自然農法の基本だった。

 

 『燭ゆらぎ雛の面輪にさす翳り』てつを

 

作者は謡曲、能に造詣の深い人である。

雛の世界にも通ずる光と影による、かんばせのニュアンスを見逃さなかった。人形に

感情を投影させ、様々な想像と物語を紡ぎながら王朝の世に浸る幸せは、女子の至福の特権であろう。

 繊細、幻想的な雛の世界の在りようを美しく格調をもって謳いあげている。

 

 ご案内

2020 四月十六日(第三木曜日)

浅草橋会館 

兼題:( 草餅・空・当季雑詠 )

 

●六時締切 五句出句

浅草橋区民会館

台東区浅草橋 2-8-7 tel 03-3851-4646

会場での時間効率を図るため予め出句五句の短冊書きを用意して来て下さるよう お願い申し上げます。

◇投句の場合は封書かFAXにて

9月十9日までに到着で。

 

指導 徳田 千鶴子 先生

 

世話役 萩庭 一幹

〒111-0053 東京都台東区浅草橋1-24-4

℡ 03-3862-3751

Fax 03-3866-4480

携帯 080-3363-6250

◇投句の場合 FAX 03-3866-4480

 

倉科 紫光 ℡ 03-3871-0808

林 勝利  ℡ 03-3384-7587

~2月作品の中から~

咳ひとつ暗闇坂にこぼしけり     一暁

 『暗闇坂』は都内に何箇所か在るらしい。

本来持つ正式な坂名から、何時とはなく里人から暗闇坂と呼ばれるようになったと推測される。私の知る暗闇坂は麻布と池之端の辺りの、昼ながら日の射さない暗い切通しの坂道である。かつては樹木が鬱蒼として更に暗かったことだろう。

暗さから発する咳は更に坂の暗さを深めた。暗闇坂は固有名詞でありながら心象的な景の在りどころとなった。

しわぶきの洩れ来る朝を安堵とも てつを 

 しわぶきは人の、健全でないときの息吹のようなものである。自分自身の体調も

勝れないとき、活力に満ちた輝かしい世界に疲れるのである。心身の安らぎは、むしろ影の部分に向かうのである。様々な生活、

生き様の中に共感と安堵を感じて生きている。人の世の安らぎとは、そうしたものだろう。

  • ~2020年1月 作品の中から~ 

  • 念力のきかなくなりしちゃんちゃんこ 寿江子

  • 湯に放つ柚子の軽きを遊びをり    雅子

  • ゆるやかに櫓声遠のく雪見船     雅子

  • 万年青の実子の銀婚をつげらるる   春美

  • ~十一月定例会作品の中から~

    ◇文机に午後の日のさす冬隣   てつを

     変哲もない午後のひと時ながら、何か心安らぐ移ろいと平穏を感じる一句。ドラマチックな展開の句も、掲句のような穏やかな心境の句もまた、よいものだと思える。

     微妙な心境は、季語の置き方によって、いろいろにニュアンスが変わってくることだろう。

    ◇病室にとどく手締や一の酉    紫光  

     季節の酉の市の賑わいに慣れ親しんで暮らしてきた作者にとって、病室で聞く手締めの響きは如何ばかりだったろうか。

     作者を知って、更に、その思いを強くした。二の酉の手締めの時期は、奥様と自宅で

    過ごしていただきたいと願う。

     ◇寒き朝一期一会の始まれり    賢文  

     寒い朝、悴むこころの中にも一日の緊迫を覚える。作者は最近、敬愛する父親を亡くして今までとは別の緊張感を抱いての生活が始まった。

     年齢を重ねていくたび、日々一期一会の覚悟と潔さを身につけなければならぬのである。

    ◇墳山の息吹ならむや冬桜    一幹 

     雨の寒さの中、吟行会に参加いただきありがとうございました。俳句に生憎の天気は無いとは云えど、やはり大変でした。

     古代のロマンが蘇って冬桜に結晶したような幻想を覚えました。

  • ~十月作品の中から~

    ◇鮭遡上淋しきまでに傷み負ひ    雅子

     潮の満ち干、地球の自転のように繰り返される自然の営みがある。鮭は次代の子孫を残すために営々と降海と遡上を繰り返して来た。そして卵を産み付けて短い一生を

    終えるのである。その性は崇高なまでに哀しく淋しくもある。

    ◇曼珠沙華文字深々と飢饉の碑    光政

     昔、飢饉になると曼珠沙華の根を何度も晒し毒抜きをして食したとある。適度な毒性があることにより他の虫や動物から守られていることも、いざという時の保存食となり得た。きっと百合根のような味がするのだろう。飢饉の碑がその事実をもの語っている。

    ◇いまさらに家事とふ重み冬に入る  紫光

     男性は長生きすれば遅かれ早かれ、この

    事実を体験し、妻のありがたさを身にしみるのである。家事に経済的価値を計算した

    学者がいたが、十分に一人分の経済生産性がある、との事だった。表に表れない副次的な効用こそ、表のエネルギーとダイナミズムを支えているのである。 


~7月作品の中から~

  • 行間にこころ窺ふ夏見舞    寿江子 

     相手をおもんばかる見舞い状だが、その実、出し手の心情も気にかかる。日本語は文面通りとはいかないのである。文外に漂うニュアンスをも推察せねばならない。見舞う側の方が落ち込んでいることだってある。

    またたびの葉のひるがえる隠岐の旅 春美 
    梅雨深し樺美智子のはるかなる  光政
    仰ぎ見し人みな亡くて朴の花  千鶴子
    花菖蒲めでる薄茶を賜りぬ 富美子   
    早朝の自服の刻や夏茶碗   てつを
     二丁櫓で小島通ひの鮑海女   勝利 
    追分に残る旅籠や燕の子     千鶴子
    殉教の耶蘇の祠や夏桜       勝利
    余花ひとつ谷戸深々と行き止まり 光正 
    根の国の父が降らせし余花の雨 寿江子 
    朝光に土のふくらむ蕗のたう  寿江子
    地震の傷残りしままに山眠る   光正
    濡れそぼつ光となりて鰰来    一暁
      水鳥や今は流れに添ふやうに   富美子
    枝川を束ね隅田の冬落き    千鶴子 
    その先のひかり見据えて冬木立 邦江 
    断捨離の言葉しみいる冬木立   一暁 
    冬田いま深き眠りの中にあり   光政 
    ◇蓮の実のとんで真はひとつなり 寿江子 
    ◇枝豆に少し芯あり夫の黙    雅子 
    手話の子の弾くる笑顔草の花 雅子 
    紅ぼかす木槿しきりに雨欲す  富美子 

    • ~七月句会の作品の中から~
    • 半夏生何やら重き封書来る 春美 
    •  様々な雑草が繁茂し除草に苦労し、野菜、作物も病理菌に犯されやすく管理に苦労する。半分裏白の半化粧草の咲く時期をを象徴的に半夏生という季節に置き換えたのである。或いはカラスビシャクという蔓をのばす里芋科のおどろ、おどろした草の時期
    • に半夏生を当てたのである。
    • 封書の中味が気になるところだが、いろいろに百草、想像出来て面白い。
    • 心頭の宙をさ迷ふ暑さかな  勝利 
    •  『心頭滅却すれば』を逆手に取った一句。
    • たしかに、心頭滅却など出来るわけも無く、精神は、まとまりつかず、思考回路は停止、只、おろおろと過ごす事になる。 
    •  掲句は聖人君子の精神状態より余程、共感を覚えるのである。この時期はものごとを深刻に考えなくてもよいという、天の配慮と思えばよい。この時季があるからこそ、
    • 来るべき新涼や秋風に感覚を研ぎ澄ませる
    • ことができるのである。

    ~六月句会の作品の中から~ 
    舟虫の走る波除け舫ひ杭  てつを 
    引堀にしのぶ鴨猟木下闇  紫光  
    ~五月句会の作品の中から~  
    頬杖をつく我と合ふ金魚玉  紫光   
    うすものを着て現し世に目覚めゐる 一暁  
    ~四月作品の中から~
    開け放つ艇庫の留守へ初つばめ   雅子
     介護とふ未知のひと日の霾ぐもり  紫光 
    急速に人口の老齢化が進む一方、日本の人口は百年後には五千万人を割るだろうと云われている。掲句は、見とおしの利かない空の下、不安と覚悟のぜのこころを抱く作者の心情が、痛切に伝わってくる。介護する側、介護される側は早かれ遅かれ必ず起こる問題である。当事者も社会も支える仕組みを更に充実させていただきたい。あらためて皆で問い直したい。 行会の予定です。
    ~三月作品の中から~
    春灯しかつてこの家も大家族    春美
     しがらみを越える水音花きぶし  てつを  
    ~二月作品の中から~
     酔ひ覚めの水の甘露や寒月下   紫光 
    賑はひの辻芸もあり梅まつり   光政   
     ~一月作品の中から~
    凍鶴や有情無情の地の果てに   一暁  
     多羅葉に記す願ひや春を待つ   富美子 
    ~十二月作品の中から~   
    身の丈のひかり集めよ藪柑子  邦江 
    鯛焼をふたつ懐昼寄席へ    雅子  
    ~鎌倉雑感~2017年11月 吟行の地 
    ~十月句会の作品の中から~
    窓開けて栗名月と添い寝せり  綾子  
    野葡萄や尼僧に恋の日もありし 富美子 
    ~九月句会の作品の中から~ 
    棗の実母の座りし庭の椅子  光政   
    生身魂隣の酒に手を伸ばす   一暁  
    ~七月句会の作品の中から~
     隠れ湯の糊効き過ぎし宿浴衣  千鶴子 
     路地に焚く門火も疎くなりにけり 紫光  
    ~六月吟行句会の作品の中から~
    汗拭いて昭和の戦さ偲びけり  千鶴子 
    葉桜となりてしづもる標本木  富美子 
    ~五月句会の作品の中から~
    シャンパンの泡より弾け薄暑かな 千鶴子  
    夏燕水の天日ゆれやまず    寿江子  
    ~四月句会の作品の中から~
    羽ばたけば風のうながす巣立かな 邦江     
    折から、巣立ちを促し、助けとなる風が吹いてきた。自ずからの不思議な力で、ふわりと舞い上がった。
    よき風に乗りて巣立った瞬間である。
     巣立ちは人の第一次自立に喩えられるが、それは鳥も人も、
    絶対的に親の世話が必要とされるからである。
    草原動物は生れて数時間で立ち上がり歩くと云う。
    まだ生きるつもりの足や春の土   綾子  
    ~三月句会の作品の中から~
    沈丁花開き初めたる真の闇    寿江子 
    春霰かわら雀のつまづきぬ    雅子 
    ~二月の作品の中から~
    朧夜のその人と知る高き鼻    光政 
    鮟鱇を捌く動きにジャズ流れ  賢文  
    2017年
    ~一月の作品の中から~
    群れなして海押し戻せ野水仙    勝利   
     一生を子なき身軽さごまめ炒る  雅子  
     『親は無くとも子は育つ』と云うが、将に子は親を踏み台にして成長してゆくものだと断言してよい。子は家庭だけでなく時代が育て社会が育てる。子の無いさみしさもあるだろうが傍にいる煩わしさもある。  子は、なければない人生もまんざらではなさそうである。自分で選ぶ事のできない境遇のひとつであり、自己責任などないのである。『ごまめ炒る、』に頓着などなく深刻さもない淡々さを感じる。。  作者は ご子息の境遇だと、明かしてくれた。
     

     隠岐は後鳥羽上皇や後醍醐天皇の流された遠流の島である。華やかな都の生活から一変して、草深い地は不自由で心細かったことだろう。その天皇を慰めむと闘牛民俗文化など芽生えた。

    素朴な島には信号がないなどの話題があった。きっと、今でも野菊やマタタビの花に彩られた島なのだろう

    安保闘争の盛んなリし頃、東大生の樺美智子は犠牲となり命を落とした。学生運動の悲しきヒロインとして忘れる事は出来ない.。その日は六月十五日とある。

     その父『樺俊雄』教授はその後、淡々と社会学の講義をしていた事を思い出す。私はまだ学生だった。

  • ~六月定例会作品の中から~

    天上界の朴の花を共に見上げた人たちは、皆、天界に去った。その一人ひとりの面差しがよみがえってきたことだろう。朴の花は

    天上界と地上界を渡すシンボルとなった。

    馥郁とした香りを漂わせ、人知れず月の夜に崩れ散る。『朴散華』は茅舎の造語である。

    色だけついている味の無い茶を啜りながら,濡れ縁に腰掛けて華麗なる菖蒲の花と対している。それ故、菖蒲の香りへ意識が通うというもの。三代ほどの株を重ねて見頃となる花であり、人の手によって丹精込められて来た園芸種である。江戸時代には花の出来栄えを競ったようである。

    夏ならば、誰よりも早い早朝に自分で点てた一服は格別なものがあるのだろう。

    まだ涼しい気が漂い緊張感と独りのくつろぎを感じる。夏茶碗はシンプルで涼しげな彩色を施している。その日は暑さの中で快い一日の始まりを迎えたことであろう。

    風俗と生活の織り混ざった一句。海女の日常の一コマを生き生きと描いている。根っこに生活感のある句は説得力がある。

    二丁櫓と云えば仁右衛門島を思い出す。島には秋櫻子句碑が建ち、ぼくとう句会に、仁右衛門島の島主末裔で今は亡き『本多福子』さんが在籍していた。


  • ~五月作品の中から~

    浮雲にかげる離宮の樟若葉    一暁

     名園の景の微妙なニュアンスを捉えた一句。樟は虫がつかず、いつまでもみずみずしさを保つ。明るい樟若葉ならではの光のコントラストを感じる。

     余談だがクスノキは『薬の木』の語源からから生まれたとの説があり、離宮の保全に一役買っているかも知れない。


    土地っ子のめっきり減りし祭かな  柴光

     最近めっきり、神輿を担ぐ土地っ子が少なくなった。ほうぼうの同好会や睦会から招集しなければ神輿が上がらない。

     都会的な人間関係の希薄さやマンション暮らしが、拍車をかける。地方では人口減少も進む。祭りと社会構造の論考。


    印泥の朱の滲みをる走り梅雨   勝利 

     日常体験と感性がマッチした一句。

    程よい紙の湿りは判がつきやすく印影もはっきりする。朱肉の滲み具合も絶妙の味わいを醸す。日に多くの契約印を押さなければならぬ身には、その日の天候も判るほどである。


    強風にすでに負けん気鴉の子   富美子 

     『憎まれ子世に憚る』を背負って生きていく鴉の魂が既に現れているのである。

     世間の風は強く冷たくも、その反骨と覚悟が出来ている鴉の子は、この先様々な知恵を身に着け、人と知恵比べさえして生きてゆく。


  • ~四月作品の中から~

     追分は左右に分かれている径に馬を追い

    分けたことから由来する地名であり各地に在るが、代表的な信州を思い浮かべる。

     街道には旅館が立ち並び、往時の街道の賑わいをとどめている。その軒には必ず燕の巣があったものだ。燕もまた長い旅装を解いて旅籠の軒に逗留しているのである

     今日、かっての禁断の信仰を貫くための様々な工夫と思いが伝えられている。同類の季語ながら、その秘めた篤い信仰心と誓いを象徴する季語は余花、残花より夏桜が相応しい。季語のもつ微妙なニュアンスというものだろう。日本民族は、様々な桜の表現をもっている。。

     

     鎌倉辺りの景かとおもう。鎌倉はどの径ゆくも谷戸径に差し掛かり、山へぶつかる。日陰、日向の変化の大きい土地柄故、残花余花に出逢える。それも昔からある山桜や八重桜の類かとおもう。深々とした谷戸は防衛線であり、鎌倉は戦に明け暮れた土地であり、現在のような観光リゾートではなかった。

     『根の国』に惹かれた。流石な語彙力だと感じ入った。古代より記されている異国地、すなわち彼の世ということになる。

     余花の雨には、華やかながら、しみじみとした追慕の情とさみしさがある。

  • ~三月吟行会作品の中から~

    老いていく己諾ふ養花天     千鶴子

     『養花天』は中国から来た言葉で花の咲くころの曇り空とある。花曇りにも近い・

     自然万物は気に満ち、人々は花に惹かれて野にも出る。その一方、周囲が元気で活力に満ちてゆくほどに自分の体力と気力の衰えを感ずる。

     そんな時こそ野に出でて自然の息吹と活力を胸いっぱいに吸い込もう。

    家苞は地蔵通りの草団子     千鶴子   

    こちらの句は明るい屈託のない一句。駒込、染井辺りは造園、園芸の盛んな里だったとある。畦道などにヨモギが繁茂していたことだろう。篤き地蔵信心の善男善女を当て込んでの仲見世の商いは今に賑わいをとどめている。まさに花より団子だったのだ。、

    柏葉の散華うながす涅槃西風   てつを

    柏の葉は新葉の揃うまで、葉を落とさず

    越年し次代を守る。何か子離れ出来ない親のような感じもする。入寂の頃の風の教えが引導を渡しているのだ。

     実のところ柏は耐風性が強く、海浜の塩害から新葉を守っているというのが真相のようだ。

     

    背反の四迷の墓や春嵐      紫光 

    二葉四迷は処女作品の『浮雲』をこともあろうに『坪内逍遥』の名をかたって発表したとある。その己のふがいなさかから自虐的に『くたばってしめい』としたことは周知のことである。折から、波乱を象徴するような風荒ぶ天からの告知だった。

  • ~二月作品の中から~

    世の帳ふかめむとして梅白し   柴光 

     何気なく表現しているが、技巧的な一句。闇の深まりを梅の白さに感じているのである。恰も、さらなる甘みを引き立たせるために少々の塩をまぶすが如き味わいである。

    三月や水天宮に帯収め      勝利 

     三月は女子の節句、雛祭りのある月であり、女月の感覚がある。下町、水天宮は安産の神として慕われて来た。犬の安産にあやかって戌の日に『岩田帯』を締める。無事出産も叶い、お礼参りを兼ねて帯を納めたことだろうか。

    魞を挿しゆるぶ淡海の水鏡    雅子 

     えりは竹や棒杭などを挿して魚を迷路へ追い込む漁法である。春の季語となっているが、稚鮎を守るため、現在は十一月の解禁となっている。春の平穏な日々の風物詩であり、琵琶湖の春を疑わずである。

     

     

    梅東風や顔真卿の書を愛でる   善一 

     梅東風からは日本の名筆、菅原道真を思い起こしながらも中国の顔真卿の書を鑑賞

    しているのである。唐代の王義之の典雅な書風にたいして顔真卿は直筆の風である。

    顔真卿の戦う政治家の最後を知るとき、その飾らない書風はさらに強直である.

  • ~一月作品の中から~

    蕗のとうは、季節を違えず、雪解けの頃必ず地上に吹き上がるように芽吹く。『土のふくらむ』に春の訪れの期待のふくらみも籠められている。蕗のとうは、まさに、先駆けて息吹く命の象徴である。

     平成も終りに近く、西日本に地崩れ山崩れが頻発した。作者の故郷の岡山県も被災したことだろう。山々は無残に地肌を露わにしている映像が放映された。それでも、安らかな『山眠る』に祈りを込めている。

    日本海地方には雷の鳴るころには鰤漁や鰰漁が始まる。鰰が雷魚と称される所以である。鰰は、海を割り、大量に光を生みながら

    網にひき寄せられる。その『光も濡れている』と言いとめたのである。

    ひたすら水に沿ひ水鳥に添って歩いたことがある。

    水鳥は渡り来て,先ず水に馴染もうと泳ぎ回る。そして、馴れると徐々に水に身を任せ流れにも乗るようになる。いつしか相性のよい伴侶にも出会うことだろう。

     十二月 ~作品の中から~

  •  当に、まとめて括られ束ねられたような大きな表現である。

     冬木は、葉を落とした時には既に次代の

    冬芽を用意している。しつかり陽春の光を

    見据えているかのようである。

     じっと来るべき時を待つ冬木は気高きまでに佇む。

    『断捨離』は山下英子さんの整理術の著書

    から、あっという間に広がった言葉である。

    説得力があり合理性を感じる言葉である。

    なかなか捨てられないも物を、思い切り捨てることから、整理されるのである。冬木は、その事を承知している。

     役目を終えて、土を梳き十分に霜に晒し

    土を養うのである。深く空気に晒し有用な

    バクテリアを育て、肥料を分解吸収出来る

    土に仕上げる。眠りは、そのための保養期間であるといってよい。


    まつすぐに石段下りて枯すすき

    落ち葉踏み先師の教へ噛みしむる 寿江子

    裸木にからまり灯るからすうり   春美

    産土神の銀杏輝く七五三      一幹

  • ~十月句会の作品の中から~

    ●巌松に挑む白波月今宵  寿江子  

     岩の松へ届かむと波が押し寄せる。

    漢詩の一節のような拡張と調べがある。

    『挑む』に潮に力強い自然の意志を感じる。

    明るい満月の夜、その一部始終を開示して

    見せている。まさに風景のドラマ。

    ●     千枚の刈田眠りぬ月光裡   雅子

    対比して前句が動なら、この句は静。

    役割を終えた田が静謐なまでに月の光を湛えて眠りに就いているかのよう。海の月、

    里山の月と様々である。

    ●過疎進む村の明るし穴まどひ  紫光

     過疎の村は荒廃してゆくなかに、あっけらかんとした、ある種の明るさがある。

    しきたりだの人間関係だのに縛られなく、

    ありのままの人と暮らしが始まってゆくからかも知れない。穴惑いという暗さ陰湿さを払拭する意外性がある。

    ●寄生木にとどまってをり月の舟  雅子

     鋭角の月を舟に見立てた表現は歌謡歌詞にも見られる。料亭などの店の名にも使われている。

    宿木に掛った月を月の舟としたメルヘンに感動。仮(借)の宿の仮の舟の組み合わせは物語そのものとなった。

  • ~九月句会の作品の中から~

     自然は摂理を違えない。必ず、その時が来ると生命装置を働かせて種を残す。その事が営々と種を残してきた唯一の理りなのである。その現象を捕らえて、『真はひとつ』と言い切ったのである。

    「全ては結実のために、全ては命のために」此れほどの真が他にあろうか。蓮の実は弾けて飛び出すときに、『ポン』と音を立てると云う。そのとき、必ず掲句を思い浮かべることになるだろう。

     なんとも微妙な夫婦間の間合いが、巧みに一句に描かれている。心理的描写が効いている句こそは、人事句の真骨頂なのである。

    実は作者自身も芯になっている事もあっただろうと想う。夫はその時と同じ反応を示したのだ。その黙の意味は、長年、連れ添った者通しが、共有し寛容し合う貴重な間合いであると受け止めたい。

  • ~八月句会の作品の中から~

     言語が不自由なだけ、体全体で喜びを、嬉しさを、感動を伝えるのである。

     思わず周囲も明るい気分に包まれてしまうのである。恰も無言劇の世界に引き込まれてしまう感覚である。

     秋の草の花は、まさに様々に開花し己の

    自己表現をしている。社会はハンディを、

    個性のひとつと捕らえ始めている。いろいろな多様性があってよいのだ。

     そこから、社会が更に成熟してゆくのだ。

    『紅ぼかし』はいまや、木槿の枕詞的によく使われいる。この句の眼目は、「しきりに

    雨欲す」にある。

     木槿は晩夏のころから朝に咲いて夕にはしぼむ一日花であり、乾いた季節に、なおさら潤いが欲しいにちがいない。

     そのような花の生態をよく感じて、人への感情移入をしているともいえる。せめて潤いの中で花の命を全うさせたいのだ。

 

  • 梅雨も上がり、湿度の高い時期の『半夏生』は農事的には忌み嫌う季節である。

     当日、ご本人は参加されなかったが、過去の体験を踏まえて投句をされた。長年、あたためていたものが、昇華されて、かえって臨場感のある句となった。江戸より続く東京湾の変わらぬ景である。 隔世の感は、湾岸は情報発信の基地都市となり、『ゆりかもめ』のモノレールが走り、レインボーブリッジは辺りによく虹が立ち、その名の由来となった。  

    浜離宮は、殆ど鴨猟と、鷹狩のための庭だった事が伺える。鴨猟の話を聞くにつけ引堀の存在感が増して、鴨を引き入れる猟の当時をしのぶに十分である。鴨にとっては受難な仕掛けだが、食文化を支えた儀礼的にして風物詩的な楽しみでもあったのだろう。  傍らに小さな鴨塚が祀られている。

    金魚玉は厚いレンズの塊のように、外界に写るものをデフォルメしたり歪めたりする。写っているのは見覚えのある自分自身なのだが、なぜか自分の.見えなかった本質を抉り出されているような感覚なのである。金魚は幻影のように変幻自在に変えてゆく。 金魚玉は涼を演出し、世界を不思議に写す夏の風物詩である。  

    『目覚めゐる』に議論が.集まった。必ずしも、明確な答えを出すこともなかろうと思った。各人の鑑賞に任せることも一句の趣であろう。漠然とした感覚もまた捨てがたい広がりがあるというもの。  うすものを着て、あらためて季節に向き合い、この時代を見つめて生きている、ほどの意味合いで十分と思う。

    つばめは、水辺を好み、天敵から守るために、人の出入りのある場所を選ぶ。当に艇庫は叶った場所なのだ。艇庫は学生のボート部だったら更に夢があって楽しい。きっと出入口も確保されていたことだろう。燕も学生も艇庫から巣立ってゆくところまで繋がるのである。さあ自由に羽搏こう。

    どの窓からも灯りが漏れてくる。一軒家には一軒家の、高層住まいには高層の、それぞれの暮らしぶりがある。一人住まいも、核家族のくらしにも、灯は人の暮らしの、息吹、ぬくもりともいえる。 明るく華やいだ灯に寄せる思いは、時に楽しく、時に哀しいこともある。子供のころの大家族であったころ、春の灯は更に明るくふくらんでいたものだった。

    しがらみの本来の意味は柵のことであり、水を堰き止めることから転じて人の世の義理人情の機微を例える言葉ともなった。 掲句は、まことに何の衒いもないそのままのストレーとな句である。雪解けも進み水量が増し、軽快な音を立てている。渓流へ覗き込むように木五倍子の花が垂れ下がる。木五倍子の花は地味だが渓流沿いの春を待つこころに点る。 早春の必ず見られる山里の光景である。 

    酒呑みなら皆体験するところ。適量に飲めれば達人の域なのだが、どうしても度をすごしてしまう。酔い覚め、酔覚ましの水ほどうまいものはない。正に、体が欲している命の水と云うもの。寒の水なら更に旨い。 二日酔いしない秘訣は酒量を七分に抑えて後、水で薄めておくことである。何度、悔恨の情を繰り返してきたことか。酒飲みの業 でもあり飲めるうちが華でもある。  しかし生涯に飲める量に限界がある。適量にて息長く楽しんでいただきたい。   

    春の喜びは梅の花、桜の花と共にもたらされる。奈良時代までは花といえばすなわち梅であった。平安時代に桜ブームがおこり、以来、花は桜となった。 梅花派と桜派と好き好きがあるが、水戸の偕楽園を代表とするように日本庭園は梅の花が主流である。梅の実の実利を重んじたからである。 梅の光には落ち着いた安定感があり、大道芸に適している。  

    一読してはイメージされないが、何度も繰り返し読み砕いていると何となく訴えてくるものがある。 凍鶴は北の地の果てが相応しいばかりでなく、人間くさいものも、そうでないものを超えて存在する。凍鶴は狂おしいまでに一途で優美な弧愁の存在である。作者の想いは、そのあたりにあったのではないだろうか。究極の表現というものだろうか。 

    多羅葉は、モチノキ科の常緑樹の葉であり葉書の木と云われている。ペンが無くても小枝で傷つけて文字を浮かび上がらせることができる。その花言葉はそのものずばり『伝達』である。言葉は言の葉から生まれたものとおもう。言の葉に願いを籠めて春を待てば、必ず願いは叶う、春は必ず来るから。

    藪柑子は通称、十両と呼ばれ藪などの半日陰に生える。身の丈は小さいがれっきとした 樹木の仲間なのである。その実は小粒ながら も惹きつけられるような可憐な赤い実をつける。おもわず、ひざまつき出合いを喜ぶような健気さがある。 日陰もの、小粒、それでも精一杯生きて、その存在を示しているのである。ひかりは その生命力に適う。    

    兼題の『鯛焼』には正直、困った。手を焼いてしまった。なるほど、皆さん、それぞれに、よくまとめたと感心した。 笑いの席と甘党の取り合わせはよく似合う。 ふところの鯛焼きは、真打の登場あたりに は、すっかり胃袋に収まっていることだろ。 笑いは消化を助ける。笑いと餡は、この上 なく精神衛生上よい。 兼題を得なければ生まれなかった取り合わ せであろう。 

    鎌倉の地、三浦半島は伊豆半島と房総半島に挟まれて、まことに海上の便がよい。三浦半島から房総半島までは意外と近い。鎌倉が覇権を得たのは、こうした海上の便の利を活かしてのことである。 鎌倉の地形を体験すると山はそれなりに険しく、馬で攻め入るのは、なかなかに困難である。鎌倉は海の干満の差が大きく、干潮を観て一機になだれ込まれて滅んだのある。皮肉なことに、海によっての覇者はその海から攻められ滅ぶこととなった。 尤もそれ以外にも源氏と北条の系内の対立によって、必然的、内部崩壊によるとの歴史観がある。何故、鎌倉は世界遺産に登録されないのかと不思議に思ったが、関東大震災により、鎌倉の殆どは倒壊、消失してしまったからだという。  しかし、鎌倉の自然と地形、文化的遺産には、今日なお惹かれるものがあり、私たち関東人にとっては、かけがえのない古都にかわりはないのである。

    栗名月は十三夜・後の月の傍題別称。月が作者に添ったのか、作者が月に添ったのか、いづれにしても月と作者は相思相愛である。作者の月に寄せる思いは深く、自身でも『かぐや姫』の末裔なのかも知れないとおもっているほどである。大川端の風と月は格別なものであり、涼み舟も月見舟も行き交う。 

    『人は人。聖人などにならなくともよい。』などと開き直って生きてきた者にとっては、それなりの俗世の免疫と強さを持っている。それがその、恋に破綻した途端、人生観が変わるのである。それが女性の業と言うものだろうか。みな、無常感をいだき『寂聴』をおもい、仏への帰依を誓うのである。 『野葡萄』には洗練された野趣がある。

    棗の実には、どことなく母親に通う 懐かしさと滋愛に充ちた光を感じる。 滋養、強壮の生薬としても、古来から 服用されても来た。薬師観音からの授かり ものだったかも知れない。 母親おもいの光政さんならではの発想と 思慕の情。 棗の実の形は小粒ながら、ゆったりとしていて実に、ふくよかである。  

    そろそろ人生を卒業してもよい齢は 卆樹と呼ばれるころか。昨今、健康で意気盛んなる老人はいくらでも居る。 自分に割り当てられた酒量では足らず隣席の酒にまで手を伸ばして上機嫌な老人に 憎めない微笑ましさを感じる。 底抜けに明るく俳諧味のある一句。 『己の欲するところに従い則を越えず』 をも超えた心境。

    山里深き宿の、着古した浴衣を蘇らせるにはたっぷり糊を利かせるのが一番なのだろう。宿のせめてものサービス。近年、浴衣はファッション的になり街中を華やかにしているが、本来的には湯浴み衣が原点なのである。宿に馴染んだ頃には浴衣の糊も失せて肌あいにしっくりくるようになる。 

    作者の思いは、『近隣の世代は盆迎えの門火を焚く風習も薄れた』との感慨であるとのこと。 別の鑑賞として、亡き人への思いは風化することはないけれど、忌日も遠くなり門火を焚くことも歳月と共に淡い思いに変わりゆくものかもしれないと感じた

    戦後七十七年にも及ぶ今日、日本史上、最も過酷で辛酸な時代も風化し始めている。戦後生まれの、そのまた子供と孫の世代は日本が戦った相手国すら知らずにいる。そんな一時代よりも、今日の、この暑さの現実感の方に気を捕られているのだ。 

    日本の喜びに満ちた季節の象徴の櫻が、最も悲惨な運命に翻弄された兵士を祀る社に定められている事も、何かアイロニーと複雑な思いを禁じえない。兵士たちへの精一杯の労いとも、過去の痛恨の過ちを忘れてはならない戒めの記念樹ともおもえる。 いづれにしても靖国の杜は、緑陰を深めつつある。

    都会的な.洗練され洒落た一句。 二次会の席で、先生の句ながら『薄暑光』 なら、なお感覚が表現されるだろうという ことになった。薄暑の光のほうが、具体的でイメージが鮮明になるからである。 薄暑のなかに溶け入る都会的なアンニュイを感じさせる。 

    燕は『飛翔しながら水を飲む』と誰かが 発言していた。燕は飛翔しながら虫を捕らえ水を叩きながら舞い飛ぶ。燕と水辺は深いつながりをもち、水辺は絶えず、たまゆらの日の輝きをたたえている。 長年、人との信頼関係を築いてきた燕に 喝采をおくりたい。 表現も.簡潔.で格調高く謳いあげている。 

    羽ばたいて己ら起こした風で舞い発とうとするが、未だ、その力は弱い。

    ひとは足から老いると云う。ふくらはぎは第二の心臓ポンプであり、血流を助け全身の機能を増進させる。医療の発達していない時代は.、歩くことを止めたとき即ちこの世と遠からず辞することを意味した。 生命力に充ちたやわらかい春の土を踏みしめ、生きる決意を新にしている 

    沈丁花は匂いの花で、むしろ開き切ったときには、匂いは失われる。夜の明ける寸前が最も暗いと云われる中、沈丁花は既に開く準備を始める。その時こそ馥郁たる香りを放つ。真の暗さを得て 明るさを知るということだろうか。沈丁花の.本質をあらためて知らされる一句。

    『かわら雀』は鶺鴒・かわら鶸・翡翠など。雀のように、身近に水辺の河原.によく見かけるので、その総称が付けられたのであろう。折からの春の霰に打たれてバランスを崩し石にもつまづいたように見える。見ている作者の視点の定まった、活き活きとした小鳥の動態を写し取った一句。   

    短編小説の導入部のような一節。『鼻』の織り込みから触発されてユニークな一句となった。曖昧模糊とした朧夜にはっきりしたプロフィールのシルエットを浮かび上がらせる、その人とはいかなる人か。興味津々である。ストーリー性のある作品にして、あれこれと想像を掻き立てる魅力的な一句。

    ぬらくらした鮟鱇を吊るし切りするのに軽快なジャズのリズムは存外適しているような気がする。自在に身をくねらせて包丁を操る姿は、躍動感がある。ジャズには鮟鱇の存在をさらに引き立て違和感はない。当世風でもあり、新たな季語との出会いとなった。一句のように、季語との新たな接点を開発出来ればとおもう。

    3.11の大地震と津波の記憶は忘れることはない。春の海光を浴びて群れ咲く水仙には、神秘な力を秘めているかもしれない。平穏な海と暮らし、二度と悲惨な犠牲を出さぬよう祈るばかりである。 掲句は、神への怒りさえ感じる強い口調であり、自然の前に無力であるが水仙に託した被災地東北へのエールでもある。

    私たち

    毎月 下町は浅草橋会館で句会を開いています
    年二度は吟行会を行っています
     
     

    私たちについて

    句会が終わった帰りは 居酒屋で杯を傾けながら

    俳句談義となります

     

    すべて超えたリベラルな自由な仲間たちです

    私たちについて

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    ブログ

    2015年11月30日 17:29

    一幹の つれづれの呟き

     私たちににとって俳句って何だろう。 共感の詩とも、日々の暮らしの記録とも、ともかく季節だけは日々移ろってゆく。 季節には皆、共通の感性があり、バイオリズムを形成している。 つまり、生きていることを実感している証しなのだ。一句を成すことは、小宇宙を 創造したと同じ重みをもつものだとも云える。深く生きよう。濃く生きよう。
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    2015年11月28日 08:38

    初ブログ

    本日よりブログを始めました。いろいろな情報をアップデートしていくのでお見逃しなく。RSS フィード でブログのアップデート状況を確認できます。
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